家族

どうも、しけいです。最近、自分自身に大きな変化がありました。変化といっても、嬉しい変化ではなく、とてもとても悲しい変化でした。
私の姉が死んだのです。享年27歳でした。
報せは突然で、事態を知ったのは1月15日の金曜の夜、仕事終わりに父親からの電話で姉が危篤であることを知りました。そして、それから5日後の20日に姉は死にました。死因は、拒食症から来る衰弱死です。姉の最期は点滴を打とうにも、腕が細すぎてチューブが入らないため、首から点滴をしてたそうです。姉とは、中学3年から大学2年までの6年間、一度も会話をすることなく、冷戦状態でしたが、姉が拒食症になり、その仰々しい見た目から人と触れ合うことが出来なくなり引き篭もる様になりました。私は今までのことを悔い、姉と仲直りをし、今年の1月6日もLINEのやり取りをしていた程には仲は昔に戻りつつありました。
正直、なんで姉が、なんでこの若さでという気持ちがあり、私は自分の一生を犠牲にしてでも姉を養っていき、姉を支え続けることを覚悟していたのですが、余りにも早すぎる死に今でも気持ちの整理がつきません。

また、昨今の状況では新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で不要不急の外出を自粛しなければならない状況にあり、感染者数の少ない福島での葬儀に私は出ることは出来ないということになりました。しかし、姉の最期を見届けないと一生後悔すると思い、PCR検査を自費で受け、密を避けレンタカーで福島に帰るということを親に何度も電話で頼み込み、なんとか線香をあげることだけは許可してもらいました。家族の死に際にも、長くいることすら敵わない本当に世知辛い世の中です。
実家に帰り、姉に線香をあげる為に死に顔を拝見したのですが、見た目は骨と皮だけであり、化粧と着物を着た姉が横たわっていました。その時、初めて自分は姉のことが大好きで大好きでたまらなかったんだと知りました。普段、愛だの人を信じるだの宣っていましたが、それ以前に自分は家族のことが本当に大好きな人間だったのだと分かりました。
そして、なぜ自分がこのブログを書いているかというと、自分が好きで好きで仕方なかった姉のことをもっと色んな人に立派に生きたことを証明したかったからなのだと思います。自分はこんな形でしか姉が生きてきたことを証明出来ないことをとても悔しく思うし、俺がもっともっと生きて姉が立派に生きたことを証明したい、そんな気持ちです。

生きていく希望がひとつ消え、本当は自殺したい気持ちも何度も芽生えましたが、自分は家を支えていく人間であり、人を悲しませてはいけないという気持ちひとつで踏ん張っています。
皆さんは身近な人間の死をどうやって乗り越えましたか?私にはその答えはまだまだ分からなそうです。